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2024年07月23日

ウォーレン・バフェットのバークシャー・ハサウェイ:ポートフォリオ徹底分析

ペ・ソンウ

ウォーレン・バフェットのバークシャー・ハサウェイ:ポートフォリオ徹底分析 썸네일 이미지

投資をしない人でも知っているその名、ウォーレン・バフェット。

ウォーレン・バフェットは1930年8月30日に米国ネブラスカ州オマハで生まれ、バークシャー・ハサウェイ(Berkshire Hathaway)のCEOとして名を馳せた、最も成功した投資家の一人として知られる人物です。

バリュー投資家、ウォーレン・バフェット

「ベンジャミン・グレアム、あなたは天才だ。」

ウォーレン・バフェットはペンシルベニア大学ウォートン・スクールで2年間学んだ後、ネブラスカ大学に編入し経済学の学士号を取得しました。その後、コロンビア大学でベンジャミン・グレアムのバリュー投資理論を学び、経済学の修士号を取得しました。

修士号まで取得したバフェットは、ニューヨークにあるグレアム・ニューマン・コーポレーション(Graham-Newman Corporation)で実務を学ぶことになります。「ベンジャミン・グレアムのバリュー投資理論」、そして「グレアム・ニューマン・コーポレーション」。バフェットが企業の価値を評価し、割安な企業に投資するというベンジャミン・グレアムのバリュー投資論に魅了されたことは間違いありません。

失言から生まれた、新しい「バークシャー・ハサウェイ」

1956年、実務まで全て習得したバフェットは故郷のオマハに戻り、バフェット・パートナーシップ・リミテッドという投資会社を設立します。

彼はここで、割安でありながら1株あたりの価格が低い「ペニーストック(Penny stock)」に投資し、初期の投資家たちに高いリターンをもたらしました。

毎日、割安な銘柄はないかと血眼になって探していた最中、ある企業が目に留まります。バークシャー・ハサウェイです。私たちがよく知る「ウォーレン・バフェットのバークシャー・ハサウェイ」は投資会社ですが、実はバークシャー・ハサウェイは1839年にオリバー・チェイスが設立した繊維製造企業でした。

当時、米国の繊維産業は国内需要の減少と海外との価格競争により危機的状況にありましたが、ウォーレン・バフェットはバークシャー・ハサウェイが割安であると考え、1962年から同社への投資を開始します。

バークシャー・ハサウェイ:「当社の株式を買い戻させてください」

ウォーレン・バフェット:「いいよ!11.5ドルでどうだい?」

それから2年が経過した1964年、バークシャー・ハサウェイのCEOシーベリー・スタントンは、ウォーレン・バフェットに口頭で自社株買いの提案を行います。会社の資産価値が株価よりも高いと判断したためです。これは結果的に株主に利益をもたらすものであったため、ウォーレン・バフェットも異存はなく、1株あたり11.5ドルで株式を売却することに合意しました。

バークシャー・ハサウェイ:「考え直したんですが…11.375ドルでどうですか?」

ウォーレン・バフェット:「??? それはないだろう…」

しかし、バークシャー・ハサウェイは最終的に1株あたり11.375ドルで株式を買い戻すと提示しました。当初合意した金額より0.125ドル低い金額です。

ウォーレン・バフェットはこれについて、自分との約束を破ったと判断し、株式を売るどころか逆に買い増しを始め、1965年には経営権を完全に掌握するに至りました。経営権を確保した直後、ウォーレン・バフェットはシーベリー・スタントンを解任し、バークシャー・ハサウェイの改革に着手します。

1967年、バフェットは保険会社ナショナル・インデムニティを買収しました。保険料を受け取る時点と保険金を支払う時点の間に保険会社が一時的に保有する資金「フロート」を活用することで、資金を効果的に運用できるようになりました。これに続き、1970年代にはメディアや製造業に投資、1985年にはバークシャー・ハサウェイの祖業であった繊維事業から撤退、1988年にはコカ・コーラに投資、1990年代には再保険会社や公益事業分野への投資、2000年代には鉄道会社の買収、2010年代にはAppleなどのテクノロジー企業への投資と、多角化*を進めながら成長していきます。

結局、バークシャー・ハサウェイはシーベリー・スタントンの小細工によって、繊維製造企業から現在の投資持株会社へと変貌を遂げることになったのです

*現在、バークシャー・ハサウェイは各事業部を個別の系列会社として運営しています。

ベッキー:私たちが伺いたいのは、何が最悪の取引で、そこから何を学んだかということです。

ウォーレン・バフェット:(爆笑しながら)私がした最も愚かなことですか?

ベッキー:はい、あなたがした最も愚かなことです。

ウォーレン・バフェット:私が買った最も愚かな株は…「バークシャー・ハサウェイ」でした。これには少し説明が必要ですね…



CNBC Transcript: Warren Buffett's $200B Berkshire Blunder and the Valuable Lesson He Learned

本来、バークシャー・ハサウェイは繊維製造企業であり、ウォーレン・バフェットはこの繊維製造企業が割安だと考えて投資を行いました。今でこそ成功を収め成長しましたが、ウォーレン・バフェット本人もそれを自覚しているのか、バークシャー・ハサウェイへの投資を「最も愚かな投資だった」と説明しています。

人生で最も愚かな投資を成功した投資へと変えたウォーレン・バフェット。彼がどのような企業を保有しているのか気になりませんか?バークシャー・ハサウェイの株式ポートフォリオをまとめてみました。


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ウォーレン・バフェットが保有する株式

5月15日にSECへ報告された、2024年3月31日時点のバークシャー・ハサウェイのポートフォリオは上の写真の通りです。

41銘柄、総額3,300億ドル(約458兆ウォン)規模で構成されたポートフォリオです。

アップル 40.81%、バンク・オブ・アメリカ 11.81%、アメリカン・エキスプレス 10.41%、コカ・コーラ 7.38%、シェブロン 5.85%

これら5銘柄の比率合計は76.25%に達します。

続いてオクシデンタル・ペトロリアム(4.86%)、クラフト・ハインツ(3.62%)、ムーディーズ(2.92%)、チャブ・リミテッド(2.03%)、ダヴィータ・ヘルスケア(1.50%)、シティグループ(1.05%)となっています。(計15.99%)

このうちバンク・オブ・アメリカ、シェブロン、オクシデンタル・ペトロリアムは、トランプ関連株としても取り上げられた銘柄です。改めて見ると感慨深いですね。

ウォーレン・バフェット個人が保有する株式は?

バークシャー・ハサウェイの成長過程を知ると、なぜこのようなポートフォリオ構成になったのか見当がつきます。では、ウォーレン・バフェットが直接保有している株式は何でしょうか?

ウォーレン・バフェットの個人ポートフォリオは、バークシャー・ハサウェイと、JPモルガンウェルズ・ファーゴの2つの銀行で構成されていると言われています。しかし、持分規模が明らかになっていない点は残念でなりません。

結局のところ、ウォーレン・バフェットの個人ポートフォリオの一部を構成するバークシャー・ハサウェイに注目すべきでしょう。

バークシャー・ハサウェイの株式比率の40%以上をアップルが占めているとは、ウォーレン・バフェットとアップルの間に何か特別な関係でもあったのでしょうか?

いいえ、バフェットはアップルを大量に買ったわけではありません。

アップルが好きで大量に買ったのではなく、アップルの株価上昇がバークシャー・ハサウェイのポートフォリオにおける比率拡大につながったと見るのが正しいでしょう。


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~1995年、金のなる木となる企業はどこに?

1995年は北米自由貿易協定(NAFTA)により貿易が活性化し、インターネットとコンピュータ技術の発達で生産性が向上していた時期でした。中央銀行の金融政策の効果により、米国は低いインフレ率と失業率を維持し、安定した経済環境を築いていた時期でもあります。

当時のバークシャー・ハサウェイのポートフォリオを見ると、馴染みのある企業が多く並んでいます。コカ・コーラ、ジレット、ABC……。

このうち、GEICO、アメリカン・エキスプレス、ABC、コカ・コーラ、フレディマック、ジレットは、1995年以前から保有していた株式です。事実上、ほぼすべて以前から保有していたものと言えます。

1995年以前のストーリーを少し覗いてみると:

ウォーレン・バフェットがGEICOに初めて投資したのは1951年のことです。バフェットがベンジャミン・グレアムの大ファンであることは、彼の伝記などでご存じでしょう。そのグレアムこそが、GEICOの取締役会長でした。それだけでなく、GEICOは保険料が競合他社より約30%安く、アンダーライティング利益率*は業界平均の4倍を超える数値を記録するなど、順調な成長を見せていた中でバフェットの目に留まったのです。

バフェットは当時、投資資金の50%にあたる1万ドルを投資して1年で50%の収益を上げましたが、その後売却してしまいます。しかし後にこの株式を売却したことを後悔し、1976年に再びGEICOへ大規模な投資を行い、1995年にはGEICOを完全に買収するに至りました。

*アンダーライティング利益率:保険会社が保険契約の保険料収入と請求費用を比較して算出した収益性

続いて、ウォーレン・バフェットがアメリカン・エキスプレスに関心を持つようになったのは1964年、サラダオイル・スキャンダルの直後です。

サラダオイル・スキャンダルは、Allied Crude Vegetable Oil Companyの主導により1963年に発生した大規模な金融詐欺事件です。当時、Alliedのサラダオイル在庫を担保に融資を行っていた金融機関は莫大な損害を被り、アメリカン・エキスプレスもその一つでした。これにより株価が大幅に下落すると、ウォーレン・バフェットはこれを好機と捉えました。アメリカン・エキスプレスの核心事業であるトラベラーズチェックとクレジットカード部門は、詐欺の影響を受けないと判断したためです。

ABCには1985年、合併を機に投資を行うことになります。ABCは当時、全米にわたる強力な放送ネットワークを持つ放送局でした。1985年、キャピタル・シティーズの経営陣は自社より4倍も規模の大きいABCを買収しようとしており、ウォーレン・バフェットはキャピタル・シティーズの経営陣とABCのネットワークがシナジー効果を生み出せると信じていました。

ウォーレン・バフェットはこの取引を支援するために5億1,750万ドルを投資し、合併後のキャピタル・シティーズ/ABCの株式約18%を確保することになります。

コカ・コーラには1988年、「ニュー・コーク」の失敗後、「コカ・コーラ・クラシック」を通じて市場シェアを回復していた最中、株式市場の暴落(ブラックマンデー)による株価下落を好機として投資し、

フレディマックには、1988年の住宅市場の好況を受け、住宅市場のポテンシャルを活かすために投資し、

ジレットには、1989年に米国および欧州のカミソリ市場におけるシェアと、持続的な収益創出能力を見込んで投資しました。

全体として、ウォーレン・バフェットは持続的に現金を稼ぎ出せる企業に注目しつつ、成長ポテンシャルが見込める場合や、株価が大幅なバーゲンセール状態になるイベントが発生した際に投資する姿勢を見せています。

1997年頃には、マクドナルドウォルト・ディズニーも上位に一時的に登場しています。

マクドナルドは1994年に投資した、前述の持続的な現金創出が可能と思われる企業に該当するケースであり、ウォルト・ディズニーは1996年のディズニーによるABC買収を通じてポートフォリオに自然と組み込まれることになりました。しかし、バフェットは1999年にウォルト・ディズニーを売却することになります。

当時は過大評価と判断されたためと伝えられていますが、ウォルト・ディズニーはポートフォリオ内の他の企業とは性質が異なるためだったと考えられます。ディズニーにはIPが持つポテンシャルがありましたが、その価値判断を行うのは難しかったであろうからです。バフェットは後にこの売却を「大きな過ち」だったと言及しています。

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1995年〜2000年、明暗分かれる業績の変化

大きな変化はないように見えますが、どこか寂しい感じがします。GEICOとABCが姿を消したからです。

ABCは前述の買収によって上場企業としての地位を失い姿を消し(ABC→ウォルト・ディズニー)、GEICOの場合は株価の下落により、保有比率上位の銘柄から外れたことがその理由です。

1995年にバフェットがGEICOの残りの株式49.6%をすべて取得した後、GEICOには悪夢のような出来事が起こります。

1999年から2000年初頭にかけてアンダーライティング(引受)損失を被り、2000年第1四半期だけで8,600万ドル以上の損失を出してしまったのです。市場シェアを拡大するために保険料を低く抑え、加入基準を緩和したことが、保険金請求頻度の増加と支払額の上昇につながったためです。

同期間、アメリカン・エキスプレスは多様なカード商品の発売、オンライン化、マーケティング強化に加え、1998年から2000年の間にカード発行枚数を大幅に増加させ、収益性が持続的に改善していました。

全体的に目立った変化はありませんでしたが、企業の選択による業績の変化が株価に影響を与え、株価の変動に伴い保有比率の増減につながったようです。

この頃から、ウォーレン・バフェットはリスクを意識し始めます。

住宅市場のポテンシャルを活かすために投資していたフレディマックは、住宅市場のリスクを理由に2000年に売却、

1990年代後半、多くのハイテク株が異常な高評価を受け始めると、バークシャー・ハサウェイのポートフォリオは2002年を境に現金保有量が持続的に増加し始めます。

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2000年〜2005年、忍耐の期間

2002年から増加し始めた現金比率は2005年にはポートフォリオの半分に迫ることになります。

2000年初頭は、株式市場にとって絶望的な期間でした。

  • 2000年3月10日、ナスダック指数は5,048ポイントでピークに達しましたが、その後ドットコムバブルが崩壊し、数週間で10%以上下落。この傾向は2002年10月まで続き、合計で78%下落することになります。
  • 2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センターとワシントンD.C.のペンタゴンに対するテロ攻撃が発生しました。私たちがよく知る9.11テロです。これにより数多くの企業が打撃を受け、約400億ドルの保険損失が発生することとなりました。
  • 2001年12月2日、エネルギー企業であるエンロンが破産を申請します。当時、米国史上最大の企業破綻事件でした。2001年初頭から株価が下落し始めたエンロンは、同年10月に6億1,800万ドルの四半期損失を計上し、過去4年間の財務諸表を修正する必要があると発表しました。将来の収益を現在の収益として計上する会計手法を通じて、実績を水増しして報告していたためです。これは投資家に企業が報告する財務諸表への不信感を植え付け、他の大企業の会計不正を暴露するきっかけとなりました。

ウォーレン・バフェットはこの期間、一部の不振企業を売却しましたが、コカ・コーラやアメリカン・エキスプレスなど、保有比率の高い主要企業の株式を売却したわけではありませんでした。バフェットは以前、ディズニー株の売却という失敗を通じて、「良い企業は売ってはいけない」という教訓を得ていたからです。

ウォーレン・バフェットの主な資金源は、利益確定によるものではなく、保険会社から生じるフロートや各種子会社からのキャッシュフローでした。

2002年以降、株式市場は回復期に入りました。

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2005年〜2010年、ぬか喜び

株式市場の回復とともに、2005年半ばからバークシャー・ハサウェイのポートフォリオにP&Gが登場します。これは、既存の保有銘柄であったジレットとの合併によるものです。P&Gは家庭用品およびパーソナルケア製品で強力なラインナップを保有しており、ジレットは前述の通り、カミソリおよび替刃市場で大きなシェアを占めていました。様々な分野でのシナジー効果を期待したP&Gは、2005年1月28日、ジレットを約570億ドルで買収すると発表しました。

続いてバフェットは2008年、エネルギー部門への投資の一環として、探査・生産(E&P)企業であるコノコフィリップスに投資します。時間の経過とともに保有比率を徐々に減らしていきましたが。2014年の分割によりスピンオフされたフィリップス66(Phillips 66)の株式を購入することになりますが、それは後の話です。

2002年から回復基調にあった株式市場は、住宅市場の上昇とともに2007年まで好調な推移を見せました。

しかし、良かったのは2007年まででした。住宅市場の急激な上昇により、多くの金融機関が高リスクのサブプライムローンを発行し、これが2008年9月15日、主要投資銀行であるリーマン・ブラザーズの破綻へとつながります。

リーマン・ブラザーズの破綻により国際金融は大きく揺らぎ、2009年には欧州の多くの国々が深刻な債務危機に直面することになります。

この期間である2007年12月から2009年6月までは、グレート・リセッション、誰もが一度は耳にしたことがあるであろう「大不況」と呼ばれる期間です。

バフェットは、サブプライムローン問題による株価下落を見て、コノコフィリップスへの投資を決断したのでしょう。長期的なエネルギー需要の増加が予想される一方で、住宅ローン問題によって株価は十分に割安になっていると考えたからです。しかし、原油価格があまりにも高い時期であり、バフェットのコノコフィリップスへの投資は、彼に大きな損失をもたらすことになります。

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2010年〜2015年、エネルギーに投資するたびに涙をのむバフェット

2011年、ウォーレン・バフェットはIBMバンク・オブ・アメリカに投資します。IBMについては、長年にわたり配当金を支払ってきた点や技術変化に適応してきた点を高く評価して投資を行い、バンク・オブ・アメリカについては、金融危機後の安定化に向けた資本増強が必要な時期において、銀行への投資が良い機会であると判断したためです。

この他にもポートフォリオには表れていませんが、バフェットはコノコフィリップスの持分を減らしつつ、2013年にエクソンモービルへ投資しました。エクソンモービルは上流(探査および生産)から下流(精製および販売)まで統合された事業モデルを営むと同時に、優秀な財務状態と高い信用格付けを持っていました。バフェットの目には、コノコフィリップスの上位互換として映ったわけです。

この期間、米国経済は平均2.3%の年間成長率を記録し、回復傾向を見せました。失業率も徐々に低下し、住宅市場も徐々に安定しつつありました。

一方、2009年から始まった欧州の債務危機は2012年半ば以降に安定化し始めましたが、完全に解決されたわけではなく、中国もまた2013年以降から成長率が鈍化し始めました。

この成長鈍化は原油需要を減少させ、これが米国の増加したシェールオイル生産量やリビアとイラクの生産回復と重なり、原油価格の急落へとつながることになります。

2014年下半期から2016年にかけての下落した原油価格により、バフェットはエクソンモービルを2014年第4四半期に売却することになりました。

「良い会社は売らない」と誓ったバフェットですが、コノコフィリップスは比重を減らし、その代替であるエクソンモービルも売却してしまう姿が見受けられます。

ウォーレン・バフェットにとってエネルギー企業は、長期的な現金創出手段ではなく、エネルギー市場そのものに対する投資の一環であると解釈できます。

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2015年〜2020年、IBMへの投資経験を経てテクノロジー企業の本質を掴む

バンク・オブ・アメリカは着実な成長により上位銘柄に浮上した一方、IBMは姿を消しました。

2011年から2018年までのバフェットの保有期間中、IBMの株価は大きく下落し、2017年末から2018年初めにかけてIBM株を売却したためです。IBM株の売却と並行して、バフェットは2016年にアップルへ投資することになります。

「テクノロジー企業とは…エコシステムだ!」

バフェットはIBMを見てこう考えたのでしょう。

IBMは競争の激化と急速な技術進歩に適応できず、徐々に淘汰されていきました。これは、テクノロジー企業がいかに予測困難な環境で競争しているかを示唆しています。この点において、バフェットはアップルをテクノロジー企業というよりは、強力なブランドと忠誠心の高い顧客基盤を持つ消費財企業として捉えました。アップルのエコシステムには、消費者が継続的にアップル製品を使用し、新製品を購入するように仕向ける強みがあったからです。

2016年のアップル投資以降、その急速な成長により、わずか2年でポートフォリオ内で最大の比重を占めるに至ります。


(ゴクリ)うーん…(ゴクリ)この味だ…
(ゴクリ)うーん…(ゴクリ)この味だ…

総合的に見ると、ウォーレン・バフェットは私たちが考える一般的な意味での投資家ではありません。現金を稼ぐことに関心の高いおじいちゃん、と言えるでしょう。

持続的に現金を生み出してくれる企業に注目し、売買差益(キャピタルゲイン)を通じて現金を確保するのではなく、保険会社のフロートや子会社のキャッシュフローなど、余剰資金を集めて資本を調達します。そして、技術力に基づくポテンシャルよりも、現金創出能力をより重視するのです。

安い時に買って高い時に売る、という一連の過程を経るのが投資家だと考える人は非常に多いです。しかし、ウォーレン・バフェットは安い時に買い、また安い時に買い、さらに安い時に買いました。まるで給料を貯めるかのようにです。

これこそが、バフェットと、彼に最も大きな影響を与えたベンジャミン・グレアムが説く「バリュー投資」なのです。

もちろん、偉大なバリュー投資家でも、時にはポテンシャルを見逃して涙をのむことがあります。ディズニー売却の件のように。

それでは、私たちはウォーレン・バフェットとバークシャー・ハサウェイのポートフォリオをどのように受け止めるべきでしょうか?以下の3点だけ覚えておけば良いでしょう。

  1. バフェットが単に多く保有しているからといって、より良いとは限らない:すでに成長しきった木である可能性があるためだ
  2. バフェットのエネルギー企業への投資は、企業の能力のために投資しているわけではない可能性がある。
  3. 新しい企業に投資する場合、それは技術力が優れているからではなく、現金創出能力に起因するものだ。

ベンジャミン・グレアムの一言で、この記事を締めくくりたいと思います。

「投資家と投機家の最も現実的な違いは、株式市場の動きに対する彼らの態度に見出される。投機家の主な関心事は、市場の変動を予測し利益を得ることにある。一方、投資家の主な関心事は、適切な価格で適切な証券を取得し保有することにある。」

—ベンジャミン・グレアム

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